2016年8月5日金曜日

【ブログジャック企画~劇団ベれゑ~⑫】最後に!演出家コメント!!

あらすじと演出ノート




これは最後の審判、吊し上げ裁判
おれに向かってあんたの脂ぎった指を向けさせてるのは誰だ
いかさま裁判は無邪気に陪審員を絞首刑にしちまった
うそつき、弁護士、鏡よ鏡、そのちがいを見せてくれ
好き勝手に言わせておけばいいさ
ろくに自分のことなんてわかっちゃいないんだから

『炬燵』で語られる冥界は荘厳を必要とはせず、人間の泥臭さ、もう地獄へ行くしかないらしいどうしようもない性根のたまり場になる。宗教観念や信じるものが定かでないらしい僕らがつくる冥界の世界がどんなものになるのか?僕らのとても身近なモチーフ、炬燵で芝居をつくるということを発見したとき、この舞台なら何でも言えそうな予感がした。神経の緩みきった閻魔様と使者が炬燵で鍋をつつきながら、、、、

賞レースを掲げる京都学生演劇祭への参加はこれまでの金沢、石川で参加してきた演劇祭とは決定的に一線を画している。顔の見知ったスタッフも、お客様もいない、会場だっていつもの劇場ではない、補助なんてもちろんない。唯一、運営と出演する他団体は私たちと同じ学生だっていうことが京都で公演することのポイントになると思う。実行委員として遠距離からではあるが演劇祭の運営に携わって感じているのは、実は劇団ベれゑはそこそこの現場を踏んできたのではないかということだった。金沢、石川での演劇祭はもとより、劇場でない場所で本格的に仕込みをして行う自主公演、五芸祭では非公式ながらによくも毎日仕込んではバラシ、仕込んではバラシをやったもんだ。

最近東京の小劇場での演劇祭のスタッフとして都市部の劇団、小劇場界隈の裏側事情を知ることがあった。東京での話だから京都では実際のところは確かではないが、私が感じた所感は演劇がただただ俳優が演技をしているだけに収まってしまってるものがあまりに多かったことだ。


その点、金沢で活動していると美術や小道具などは作るものは作るし、ベれゑのことでいえば、作品に音楽は欠かせないものとして大事に扱っている。


はっきり言えば、物足りない。作品の面白みとして美術と音楽を持っていることはたしかに価値があるらしい。金沢の中にいると実際のところ自分たちの作品が「どうなのか」は結局不明瞭のままだと感じている。自分が大事で終わったら面白くない。だから京都に行こうと思った。
真っ向から賞を取りに行くつもりだ。仕込み時間の制限や不慣れな土地で最大限のパフォーマンスができないといけない。




「炬燵」について。

「炬燵」は死後の世界の話だ。天国とか地獄とかっていうようなわかりやすい冥界ではなく怠惰が原因で死んだ者を裁きにかけるというちょっと面倒くさい設定だ。一番大事にしたいことは、その世界観を舞台と俳優が体現するということ。生身の俳優が演じることと舞台が生々しくあってはいけないという矛盾を作り出せると面白くなると思う。その「矛盾」が「ミスマッチ」になることは最悪の事態かもしれない。演じるということの面白みは俳優の「いつものあいつが舞台に立ってる」ことではない、ということを今回はしてみたい。誰かを演じて、その誰かになってほしい。当たり前なことのようでこれが一番難しいことはみんな知っている。ここから逃げてほしくない。
「あの世」然とした舞台を作りたい。走馬灯だか、仮死状態だかを観客に経験させたい。見ることではなく体験することを提示したい。





演出ノートを少しだけ紹介しました!!
まずは、今週末の8月7日、京都大学吉田寮での中間発表会で京都の皆様とお会いできることを楽しみにしてます。では!!
ホームページも覗いて見てくださいね!!



劇団べれゑの京都学生演劇祭の出演は
8月31日18:30
9月2日14:30
9月4日14:30  の三回!!お見逃し無く!!



劇団べれゑダイジェストPV↓

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