2016年8月2日火曜日

「なかゆびムーヴメントⅥ ーーキャッチコピーに込めた思い」
劇団なかゆび 主宰 神田真直

ムーヴメント、起きるを考案したのは、私です。
運営側でも齟齬があったので、どんな意味を込めているか簡単に述べておきます。



京都学生演劇祭に関わる人すべてに
<開かれた>キャッチコピーであるように心掛けました。
ですから、あまり深い意味は込めていません。しかし何もかも受け取り手に任せるというのでは、軟弱なコピーになってしまいます。
演劇祭という文化的営みにおけるキャッチコピーは対象を限定(排除)するものではないべきであると考えています。以下、参考になれば幸いです。

「ムーヴメント」は
京都学生演劇祭によってもたらされた
<あらゆる>場所での
<あらゆる>人の
<あらゆる>出会い
を指します。

そしてそれは
何者かの主体によって
操作されることなしに
つまり自然発生的に
「起きる」ものである。
ですから「起こす」という
対象を必要とする他動詞ではなく
「起きる」なのです。

そのような願いをこめたものです。
1,2,3のいずれも問いに答えてしまうと
排除される対象が発生してしまいます。
仮に1の答えは観客であるとすると
我々にムーヴメントは起きているはずなのに、それは含まれないのか。なぜ含まないのかという新たな問いが生まれます。
仮に2の答えを僕ら演る側とすると
演劇祭をきっかけに観客同士が出会うことで<起こる>ムーヴメントは、演る側が起こしたと言えるかという新たな問いが生まれます。
仮に3の答えを本番期間とすると
先日の合同稽古の出会いはムーヴメントには含まれないのか。なぜ、他を排除して本番期間中に限定するのかという新たな問いが生まれます。

あらゆるムーヴメント(出会い)を
キャッチコピーという出発点の段階で
否定したくないのです。

以上がキャッチコピーにこめた考えです。
皆さまも是非、ムーヴメントに巻き込まれてみませんか。


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